地図、アクセス 清福寺にお越しの方はこちらをご覧下さい.
清福寺トップページへ戻る.

ご紹介

清福寺のご紹介.

清福寺銀杏の木を背景にした全景写真.
清福寺略史.
   

当清福寺は、瑠璃山薬王院清福寺と号し、久喜市下清久鶴ノ谷にあり、総本山長谷寺の直末寺院として、真言宗豊山派に属しています。

当山は足利政氏が久喜に隠居して甘棠院を創建する数年前の永正二年三月(1505年)に、不動明王を本尊とし果山が開基しました。

江戸時代には山内に、寛永十三年(1639年)から承応三年(1654年)にかけての宝筐印塔三基があり、また庚申塔が、元禄十六年(1703年)と文政七年(1824年)に更に、安永二年(1773年)には日本廻国供養塔が立てられており、往時が忍ばれます。また、開基の頃よりあったと考えられる、市の天然記念物にも指定されている本堂前の樹齢500年の「銀杏の木」も、その長い歴史を物語っています。

 

   

明治二十七年(1884年)七月十七日、光明寺末から総本山長谷寺の直末寺となり、大日如来を本尊としてお祀りしています。
当山は約100年間無住の寺でしたが、久喜市光明寺住職 佐久間照夫師のお計らいにより、平成七年(1995年)四月十九日より、住職は第十九世 馬場貞範が拝命しています。
2019年本堂正面の壁画リニューアル。


   

平成十六年十二月壇信徒会館「銀杏ホール」・庫裏建立。平成二十年本堂建築

清福寺写真 正面. 清福寺写真 門の外から. 清福寺写真 門の辺り.


   

こちらは旧堂の写真です。


清福寺写真 正面. 清福寺写真 門の外から. 清福寺写真 門の辺り.

    清福寺墓苑のご案内.

● 清福寺の墓地は静かな環境で、かつ地理的利便性も高い「田園都市型墓苑」です。
● 久喜駅西口から菖蒲行きのバスに乗り、7分で「清福寺前」のバス停に着きます。
● 新墓苑の全区画が南方を向いて、朝から夕方まで太陽が注ぐ、環境抜群の墓苑です。
● 区画は間口150cm×180cm(70万円より)、100cm×120cm(40万円より)と、安価で提供しています。
● 清福寺には指定石材店がなく、何時、何処の石材店で墓石を工事しても構いません。
● 清福寺は何事も檀家で構成している「護持会」の総会、役員会で審議、決議していく民主的運営です。
● 自分の死後に心配をいただくことのない、充実した永代供養システムがあります。

 

銀杏ホール.  
   

お寺につきものの客殿(法事などの控え室)として“銀杏ホール”がございます。檀家や地域の人々に利用されやすく、喜んでもらえる形にしては?という檀家さん達の熱い思いが形となり、誕生しました。是非一度ご覧頂きたいと存じます。

銀杏ホールのサイトを開きます.

清福寺略史.

当清福寺は、瑠璃山薬王院清福寺と号し、久喜市下清久鶴ノ谷にあり、総本山長谷寺の直末寺院として、真言宗豊山派に属しています。

当山は足利政氏が久喜に隠居して甘棠院を創建する数年前の永正二年三月(1505年)に、不動明王を本尊とし果山が開基しました。

江戸時代には山内に、寛永十三年(1639年)から承応三年(1654年)にかけての宝筐印塔三基があり、また庚申塔が、元禄十六年(1703年)と文政七年(1824年)に更に、安永二年(1773年)には日本廻国供養塔が立てられており、往時が忍ばれます。また、開基の頃よりあったと考えられる、市の天然記念物にも指定されている本堂前の樹齢500年の「銀杏の木」も、その長い歴史を物語っています。

清福寺銀杏の木を背景にした全景写真

明治二十七年(1884年)七月十七日、光明寺末から総本山長谷寺の直末寺となり、大日如来を本尊としてお祀りしています。
当山は約100年間無住の寺でしたが、久喜市光明寺住職 佐久間照夫師のお計らいにより、平成七年(1995年)四月十九日より、住職は第十九世 馬場貞範が拝命しています。
2019年本堂正面の壁画リニューアル。

平成十六年十二月壇信徒会館「銀杏ホール」・庫裏建立。平成二十年本堂建築

清福寺写真 正面.
清福寺写真 門の外から
清福寺写真 門の辺り

こちらは旧堂の写真です。

清福寺写真 正面
清福寺写真 門の外から
清福寺写真 門の辺り

清福寺墓苑のご案内.

銀杏ホール.

お寺につきものの客殿(法事などの控え室)として“銀杏ホール”がございます。檀家や地域の人々に利用されやすく、喜んでもらえる形にしては?という檀家さん達の熱い思いが形となり、誕生しました。是非一度ご覧頂きたいと存じます。

銀杏ホールのサイトを開きます.